プロフィール

私が「風と間」を始めるまで

私が禅に出会ったのは、18年ほど前。

会社員として働いていた頃でした。

当時勤めていた会社は、今でいうブラック企業で、

家に帰るのは毎日、夜の12時すぎ。

しんどい。

仕事に行くのもつらい。

でも当時の私は、

「会社がおかしい」

とは、あまり考えていませんでした。

「私が弱いから、うまくできないんだ」

「もっと頑張れる人にならなきゃ」

そう思っていました。

もっと強くなりたい。

忍耐力を身につけたい。

そんな思いで、名古屋の永平寺別院を訪れ、

坐禅を始めました。

ところが、実際に坐ってみると、つらい。

「坐禅すら我慢できない」

「やっぱり私のメンタルは、人より弱いのかもしれない」

強くなるために始めたはずの坐禅で、

私はまた、自分を責めていました。

そんな頃、今の夫と出会いました。

夫は、禅宗の僧侶です。

その夫から言われたのが、

「坐禅は、我慢比べじゃないんだよ」

という言葉でした。

びっくりしました。

我慢するためじゃないなら、

じゃあ、坐禅って何なんだろう?

今振り返ると、

私の長い旅は、そこから始まったように思います。

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私は子どもの頃から、

周りの人の機嫌にとても敏感でした。

相手が不機嫌だと、

「私が何かしたかな」

「どうしたら怒らせないかな」

と考える。

人と楽しく過ごしたはずなのに、

家に帰るとどっと疲れる。

何もしていない時間や、

遊びに行っている時でさえ、

「こんなことしていて、いいのかな」

と罪悪感を覚える。

何かあると、

頭の中で何度も考え、

自分を責める。

私はずっと、

この生きづらさを、どうにかしたい

と思っていました。

心理学や心についての本も、

たくさん読みました。

読むたびに、

「なるほど」

「だから私はこうなるのか」

と思いました。

でも、

知識は増えるのに、私はほとんど楽になりませんでした。

頭では分かっている。

でも何かが起きれば、

また苦しくなる。

また考える。

また自分を責める。

「分かること」と、

「実際に変わっていくこと」は、

同じではない。

そんなことを感じるようになりました。

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その後、

心理学。

マインドフルネス。

自分の過去の傷と向き合うこと。

身体の感覚に戻ること。

そして、禅。

それぞれを学び、

自分自身で実践していくうちに、

少しずつ、それらがつながり始めました。

そんな中で私は、

自分の生活や居場所そのものが揺らぐような、

とても大きな出来事

を経験しました。

詳しいことをここに書くことはしません。

ただ、

悲しい。

怖い。

腹が立つ。

悔しい。

何度も、

感情に飲み込まれそうになりました。

その時、

私を支えてくれたものの一つが、

禅でした。

感情を「ないこと」にしない。

悲しいなら、悲しい。

怖いなら、怖い。

腹が立っているなら、

「私は今、腹が立っている」と認める。

まず、感じる。

そして少し落ち着いたところで、

「実際に起きていることは何?」

と現実を見る。

感情を押し殺すのでもなく、

感情にすべてを持っていかれるのでもない。

感情と行動の間に、少しだけ「間」をつくる。

長く続けてきた禅は、

私に、

心を整えながら、

現実を選ぶ力

をくれたように思います。

⸻

そしてもう一つ、

私にとって大きかったのが、

自分と他人との境界線を見直すこと

でした。

以前の私は、

相手が不機嫌なら、

「私が何とかしなければ」

相手が怒っていれば、

「私が悪かったのかな」

相手との関係がうまくいかなければ、

「もっと我慢すればいい」

と思っていました。

でも少しずつ、

相手の感情は、相手のもの。

相手の問題は、相手のもの。

私の人生で何を選ぶかは、私が決めていい。

そう考えられるようになりました。

慣れていることと、

健全であることは同じではありません。

だから私は、

「この関係の中で、私は自分を大切にできているだろうか」

「相手の問題まで、自分が抱えていないだろうか」

と考えるようになりました。

自分が引き受けなくてもいいものを、

少しずつ手放していく。

すると、

人との関係そのものも変わっていきました。

⸻

そんなある日、

夫と一緒に禅を組んでいました。

静かに坐っているとき、

ふと、

「もう、誰とも比べなくていいんだ」

と思いました。

その瞬間、

涙がとめどなく溢れてきました。

頭で「分かった」のではなく、

自分の中に、すとんと落ちた。

そんな感覚でした。

もっと強くならなくていい。

誰かより優れていなくてもいい。

誰かに認めてもらうことで、

自分の価値を確かめなくてもいい。

私は、私でいい。

18年前、

「私は弱い自分が嫌で、もっと強くならなきゃ」

と思って禅に出会いました。

そんな私が

長い時間をかけて、

ようやく違う場所にたどり着いたような気がしました。

私に必要だったのは、

誰かに満たしてもらうことではなく、

自分で自分を満たす力

だったのだと思います。

⸻

今でも、

嫌なことが何も起こらないわけではありません。

腹が立つこともあります。

悲しくなることもあります。

不安になることもあります。

でも、

「また考えてるな」

と気づいて、

自分のところへ戻ってこられる。

以前なら一晩中考えていたことも、

「今日のところは、ここまで」

と手放せるようになりました。

私にとって大きかったのは、

嫌なことがなくなったことではありません。

嫌なことが起きても、

自分を見失わずにいられる時間が増えたこと。

特別な日だけが楽しいのではなく、

肩に力を入れなくても、

何でもない毎日を、

穏やかに、楽しく過ごせる時間が増えたこと。

それが、

私にとって大きな変化でした。

⸻

そして私は、

自分を癒すことは、

自分のためだけではない

とも感じるようになりました。

私自身が、

自分の感情を整え、

人の機嫌に振り回されにくくなり、

自分で自分を満たせるようになっていく中で、

家族との関係も少しずつ変わりました。

子どもは以前より、

「やってみたい」

「挑戦してみたい」

という気持ちを見せることが増えたように感じています。

夫も、

以前より穏やかになったと感じます。

自分の中に安心や余白が生まれると、

それは自分の中だけにとどまらず、

身近な人との関わりにも、

少しずつ溢れ出していく。

私は、自分の経験から、

そう感じています。

だから、

あなたが自分を癒し、

見つめ直すことは、

あなた自身のためであり、

あなたの大切な人のためでもある。

そう思っています。

⸻

そして、

私が「風と間」で、

もう一つ大切にしたいことがあります。

それは、

その人がすでに持っている力や能力が、

ちゃんと働く状態をつくること。

人にはそれぞれ、

考える力。

感じる力。

学ぶ力。

工夫する力。

人と関わる力。

挑戦する力。

もともと持っている力があります。

でも、

持っている力と、

それを実際に使えることは、

同じではありません。

不安が強いと、

本当はできることでも、

「自分には無理かもしれない」と思う。

誰かと比べることで、

自分がちっぽけに見える。

周りに挑戦している人がいなければ、

自分のやりたいことが、

夢物語のように思える。

過去の経歴や、

誰かに言われた言葉によって、

「自分はこの程度だ」

と決めてしまうこともあります。

でも、

今まで何をしてきたかだけで、

その人の力のすべてが決まるわけではありません。

大きな目標に、

いきなり飛びつかなくてもいい。

階段を一段ずつ上るように、

今できることを、

一つずつ選んでいけばいい。

私は、

能力がないから止まっているのではなく、

不安や比較、

自分への思い込み、

感情の波によって、

持っている力を十分に使えずにいる人を見ると、

「もったいないな」

と思うことがあります。

だから私は、

誰かを別人に変えたいわけではありません。

もっと強い人にしたいわけでもありません。

その人が、

すでに持っている力を、

いざという時も、普段も、ちゃんと使えるようになること。

私は、そのためのお手伝いがしたいと思っています。

⸻

曹洞宗の教えを学ぶために、

寺族としてレポートを書いていた時、

道元禅師の教えに触れ、

私は、

「これなんだ」

と強く感じたことがありました。

人は、

何かを外から足して、

ようやく価値のある人になるわけではない。

「もっと強く」

「もっと立派に」

「もっと誰かのように」

ならなければいけないわけでもない。

私自身が長い時間をかけて経験してきたことと、

禅の教えが、

そこで一つにつながったように感じました。

18年前、

私は、

「弱い自分に、強さを足したい」

と思って禅に出会いました。

でも今は、

必要だったのは、

別の誰かになることではなかったと思っています。

自分の感情を知る。

自分を整える。

現実を見る。

自分で選ぶ。

そして、

自分が持っている力を、

必要な時に、きちんと発揮できる、使えるようになる。

それが、

私にとっての禅になりました。

⸻

人の機嫌を気にしすぎてしまう人。

何かあると、

すぐ自分を責めてしまう人。

考えすぎて、

一歩が踏み出せなくなる人。

周りの言葉や過去の経験によって、

自分の可能性を、

小さく見積もってしまう人。

能力や思いはあるのに、

不安や比較に邪魔されて、

自分の力を十分に使えずにいる人。

そんな人に、

私が長い時間をかけて学び、

トライアンドエラーで実践してきたことを、

日常で使える形で伝えてみたい。

それが、

「風と間」

を始めた理由です。

⸻

私が答えを決めるのではなく、

一緒に、

今起きていることを整理する。

感情を見る。

現実を見る。

自分が本当は何を望んでいるのかを考える。

そして、

今の自分にできる一歩を選ぶ。

そうやって、

少しずつ、

自分の心を扱えるようになり、

自分で自分を満たし、

持っている力を、

ちゃんと使えるようになる。

1日1日を、少し軽やかに。

そのための時間を、

一緒につくれたらと思っています。

18年ほど前、

「坐禅は我慢比べじゃない」

と言われた私は、

「じゃあ、坐禅って何?」

と思いました。

その答えを探してきた長い時間が、

今の「風と間」につながっています。

武内 麻起子

風と間 主催/曹洞宗准教師

  • 広告制作会社などで勤務し、価値を人に伝える仕事に携わる
  • 独立後、小規模事業者の集客・マーケティング支援
  • 三重県の公的な専門家派遣制度で、マーケティング分野の専門家として企業を支援
  • 広禅寺(三重県伊賀市、開山約600年の曹洞宗寺院)で運営の実務を担当。行事運営、広報、スタッフ採用・育成、檀家さん対応、行政・業者対応
  • 住職が本山に勤務していた期間、寺の運営を預かり、世話人の皆さんと協力して本堂改修(約2億円)の資金集めから工事の取りまとめまでを担当
  • 心理学を学ぶ。マインドフルネス、身体感覚のワークを実践
  • FMラジオ出演

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