次の判断に響かせない、感情と事実の分け方
大きな判断を外してしまった。
取引先を失った。
採用が裏目に出た。
投資したものが、思うように回収できなかった。
その日の夜、布団に入っても頭の中では同じ場面が繰り返されます。
「なぜ、こんなことになったんだろう」
「あのとき別の選択をしていれば」
「なんで気づかなかったんだろう」
そして翌日も、どんよりとした気分は晴れない。
お客様への返事がいつもより硬くなる。
スタッフの小さなミスに、必要以上にイライラする。
次の案件は怖くて決めきれない。
反対に、
「早く取り返さなければ」
と焦って、次の判断を急いでしまうこともあります。
私は、こういうとき、
失敗そのものより、失敗を引きずった状態で下す「次の判断」のほうが怖い
と思っています。
責任ある立場で走り続けている方とお話ししていると、
「そうそう。それ、僕です」
「まさに今、それです」
と言われることがあります。
では、そんなとき、どうやってもう一度「自分で判断できる状態」に戻るのか。
私はまず、頭の中で混ざっているものを分けます。
頭の中では、「事実」と「感情」と「想像」が混ざっている
何か大きな出来事が起きたとき、頭の中では主に3つのものが混ざっています。
① 現実(事実)
実際に起きたこと。確認できること。
② 感情・身体の反応
悔しい。怖い。腹が立つ。情けない。胃が重い。眠れない。肩に力が入る。
③ 解釈・想像
相手からどう思われているか、この先どうなるのか、自分には価値がないのではないか、といった頭の中に浮かんでいること。
たとえば、
「大口の取引が白紙になった」
という出来事があったとします。
事実は、
「先方から契約見送りの連絡が来た」
「今期の売上見込みが下がる」
ということ。
感情は、
「悔しい」
「怖い」
「情けない」
そして頭の中には、
「もう信用されていない」
「社員に無能だと思われている」
「自分は経営に向いていない」
「自分には、ほかに何も誇れるものがない」
そんな考えまで浮かんでくるかもしれません。
こうして文字にすると、
「それ、事実じゃないよね」
と分かるものもあります。
でも、渦中にいると違います。
全部が同じくらい「本当のこと」に感じられます。
しかも、考えれば考えるほど、まだ起きてもいないことや、誰にも確認していないことまで膨らんでいきます。
感情は大切。でも、感情=現実ではない
私は、感情をなくす必要はないと思っています。
悔しいのは、その仕事を大切にしてきたからかもしれない。
怖いのは、会社やスタッフ、家族など、守りたいものがあるからかもしれない。
だから、感情は大事な情報です。
ただ、
感情は大切な情報だけれど、そのまま現実ではありません。
「怖い」と感じていることと、
「本当に危険な状況である」ことは別です。
「情けない」と感じていることと、
「自分には経営者としての価値がない」ことも別です。
ここが混ざったまま次の判断に向かうと、
現実に合わせて判断しているつもりで、実は自分の怖さや焦りに合わせて決めてしまうことがあります。
私自身、つい最近も「どうする?」と頭が真っ白になったことがあります
これは、私自身がお寺のスタッフのことで経験したことでもあります。
以前、お寺には、とても仕事のできる外掃除のスタッフがいました。
境内の掃除。
墓地の階段。
歴代住職のお墓。
草刈り。
外回りのいろいろな仕事を、一人で幅広くこなしてくれていました。
その方が辞めたあとも、私は無意識に、
「外の掃除をする人」
という一つの役割で考えていたのだと思います。
ところが、その後お願いしたスタッフでは、草刈りがまったく追いつかなくなりました。
できていないことを伝えても、なかなか改善されない。
「草刈りが全然追いついていないけど、どうする?」
と話したところ、「辞める」という話になりました。
正直、焦りました。
ただでさえ草刈りが追いついていない。
ここで辞められたら、さらに人が足りなくなる。
「早く次の人を探さなきゃ」
頭の中は、すぐそこへ向かいます。
そして新しい人に来てもらったものの、その方にも以前のスタッフと同じように、外仕事をすべてお願いするのは難しいことが分かってきました。
そこでまた、
「私、人を見る目ないなあ」
と思いました。
「人を見る目がない」で終わったら、何も変わらない
でも、
「私は人を見る目がない」
で終わったら、次も同じことが起きるかもしれません。
そこで、
実際に困っていることは何なのか?
を一つずつ分けてみました。
すると、そもそも私の中に、
「外掃除のスタッフは、朝から来て、この仕事を全部する人」
という前提があることに気づきました。
でも、本当にそうなのか。
朝のゴミ出しは、確かに朝でなければ困ります。
では、草刈りは?
檀家さんがいらっしゃる時間などを避ければ、別に朝でなくてもいい。
墓地や境内の整備も、全部を一人の人にお願いする必要はない。
そこで、以前働いてくださっていた方に、まずスポットで草刈りをお願いしました。
その後、
「週3回くらい、時間は何時でもいいので、草刈りをお願いできませんか?」
と相談してみました。
すると、その方にとっても、
「時間を自由に使えて、草刈りくらいならやるよ」
という働き方なら都合がいい。
喜んで来てくださるようになりました。
お寺にとっても、必要な仕事をきちんとお願いできて、以前より費用も抑えられる形になりました。
今では、
ゴミ出しや少しの作務は、それが得意な人に。
時間を自由に使いたい方には、草刈りなど時間を固定しなくてもいい仕事を。
そんなふうに仕事を分けています。
さらに、日々、草刈機やチェーンソーと格闘している私を見るに見かねたのか。
それとも、「住職の役に立ちたい」と思ってくださったのか。
世話人さんまで、
「毎週土曜日、手伝いに来るよ」
と言ってくださいました。
最初は、
「人が辞める」
「草刈りが追いつかない」
「また採用がうまくいかない」
と、問題ばかり増えているように見えていました。
でも、現実を一つずつ分けていくと、
「一人の人に全部やってもらう」という、それまで疑っていなかった前提そのものを変えればいい
と気づきました。
やったことは、ものすごく普通のことです
ここまで読んだ経営者の方なら、
「いや、仕事を分けるなんて普通やん」
と思うかもしれません。
その通りです。
さらに、採用についても見直しました。
面接だけでは実際の働き方まで分からない。
採用したあとに「合わなかった」と気づいても、こちらも言いづらくなる。
だったら、最初からお試しの期間を設ければいい。
継続する場合には、
「どんな働き方をお願いしたいのか」
「お寺として何を大切にしているのか」
「どこまでを仕事の基準とするのか」
を、改めてお伝えする。
これも、特別な経営手法ではありません。
普通のことです。
でも、問題の真ん中にいるときの私は、その「普通」が見えなくなっていました。
「人が辞める。どうしよう」
「また採用に失敗したやん」
「早く何とかしなきゃ」
焦りや自責で頭がいっぱいになると、選択肢がどんどん少なくなっていきます。
必要だったのは、ものすごいアイデアではありませんでした。
いったん感情と現実を分けて、「本当に困っていることは何?」と見直すことでした。
一人で考えていると、自分の「前提」には気づきにくい
紙に、
「事実」
「感情」
「想像」
と書いて分けるだけでも、頭の中は整理しやすくなります。
でも、難しいところがあります。
それは、
自分では「事実」だと思っているものに、自分の解釈や前提がすでに入っていることがある
ということです。
私の場合なら、
「外掃除の人は朝に来てもらわないと困る」
でした。
でも、本当に朝でなければならなかったのは、ゴミ出しでした。
「一人辞めるから、一人採用しなければ」
これも、必ずしも事実ではありません。
「社員から信用されていない」
それは、実際に社員から言われたことでしょうか。
「この取引先はもう戻ってこない」
それは決定したことでしょうか。
「自分が全部やらなければならない」
本当に、自分にしかできない仕事でしょうか。
他人の話なら、
「いや、それ決まってないやん」
と気づけることがあります。
でも、自分が渦中にいると、なかなか気づけません。
だから私は、答えを教えるのではなく、あなたと一緒に分けていきます
風と間の個別セッションでは、私があなたの代わりに経営判断をするわけではありません。
私は以前、企業のサポートに関わっていた時期があります。
その経験があるからこそ、経営する立場だからこその責任や、判断の背景にある事情を、ある程度想像しながらお話を聞ける部分があります。
ただ、今の私の役割は、経営コンサルタントではありません。
「この事業はやめたほうがいい」
「この人を採用すべき」
「次はこう経営すべき」
と、私が経営の答えを出すわけではありません。
一緒に整理するのは、
今、実際に何が起きているのか。
そこに、どんな感情や不安が重なっているのか。
まだ起きていないことまで、事実として考えていないか。
そして、自分が今、判断できることは何なのか。
そこが整理されてくると、
「そうか。だったら、こうすればいいか」
と、ご自身で次の選択肢が見えてくることがあります。
私は、答えを渡す人ではなく、その人がもう一度、自分で考えて判断できるところまで、一緒に整理する人でありたいと思っています。
私がするのは、
「それは、実際に起きていることですか?」
「相手から実際に言われたことですか?」
「今、本当に困っていることは何ですか?」
「それは今、考えたら答えが出ることですか?」
「自分で動かせるのは、どこまでですか?」
そんなふうに、頭の中で一つになっているものを一緒に分けていくことです。
すると、
「待って。だったら、こういう方法もあるな」
「そこは自分が背負わなくてもいいのか」
「今決めるのは、そこじゃなかった」
と、自分で気づくことがあります。
私は、この「自分で気づく」というところを大切にしています。
答えをもらって帰るのではなく、
自分で考え、判断できる状態に戻って帰る。
そのための時間です。
禅に出会ってから、「本当に悪いことって何だろう」と考えるようになりました
もちろん、嫌なことが起きた瞬間に、
「良かった!」
なんて思えるわけではありません。
私も焦ります。
腹も立ちます。
「え、どうするん?」
と、頭が真っ白になることもあります。
でも禅に出会ってから、私は、
「本当に、ただ悪いだけの出来事ってあるのかな」
と考えるようになりました。
今、何かの課題が出てきた。
だったら、
「ここには、今のうちに見直しておいたほうがいいものがあるのかもしれない」
と考えてみる。
このままの仕組み。
このままの考え方。
このままのやり方。
そのままでもっと大きなことに挑戦したら、同じ問題が、もっと大きく出てくるかもしれません。
だから私は、
「次の大きなチャレンジでちゃんと力を出すために、今、この課題に気づけたのかもしれない」
と捉えることがあります。
もちろん、それが絶対的な正解だと言いたいわけではありません。
私には、この捉え方が合っているということです。
「なんでこんなことが起きたんだ」
と考え続けていると、フリーズしそうになる私の脳みそが、
「で、ここから何を変えられる?」
に切り替わって、また動き始めるからです。
反省と、自分を責め続けることは違う
失敗したとき、
「なんであんな判断したんだ」
と振り返ることは大切です。
でも、
「だから私はダメだ」
まで行く必要はありません。
反省は、
「次はどうする?」
に向かいます。
自責は、
「自分はダメだ」
に向かいます。
私なら、
「人を見る目がない」
で止まるのではなく、
「面接だけで見抜かなくてもいい仕組みにしよう」
「仕事そのものを分けてみよう」
に変える。
失敗を、自分を責め続ける材料ではなく、
次の判断を変える材料にする。
私はそのほうが、ずっと現実的だと思っています。
整えて終わりではなく、また現実へ戻って動くために
失敗を引きずらない人は、失敗しても何とも思わない人ではありません。
悔しい。
腹が立つ。
怖い。
「なんであんなことしたんやろ」
と思う。
それでも、
何が実際に起きたことなのか。
私は今、何を感じているのか。
何を「事実」だと思い込んでいるのか。
今、自分で動かせることは何なのか。
そこまで分けられると、
「じゃあ、次はどうする?」
に戻ってこられます。
風と間が大切にしているのは、ここです。
癒やされて終わり、ではありません。
無理やり前向きになる場所でもありません。
誰かに正解を決めてもらう場所でもありません。
頭の中で絡まっているものを一緒にほどいて、
自分自身でもう一度考え、判断し、現実へ戻って動ける状態にする。
もし今、
考えているのに、同じところを何度も回っている。
何を決めても、「これでいいのか」が消えない。
仕事のイライラを、スタッフや家族にまで持ち込んでしまう。
「早く何とかしなければ」と焦っている。
そんな状態なら、
一人で考える時間を、さらに増やすより。
一度、頭の中にあるものを外に出して、一緒に整理してみませんか。
何が事実で、
何が感情で、
何がまだ起きていない想像なのか。
何が自分にできて、
何を相手に委ねるのか。
そして、
「では、私は次に何をする?」
まで、一緒に整理します。
答えを決めてもらうためではなく、
次の判断を、自分でできる状態に戻すための90分です。
風と間では、三重県伊賀市で個別セッションを行っています。
オンラインでも受けていただけます。
※眠れない日が続いている、食欲が落ちている、気分の落ち込みが長く続いているなど、日常生活に支障が出ている場合は、医療機関へのご相談をご検討ください。「風と間」のセッションは、医療行為や治療に代わるものではありません。